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街角情報

6月は高杉晋作ゆかりの地・・東行庵の花菖蒲が満開になります。

高杉晋作ゆかりの東行庵では6月上旬から中旬にかけて、100種約1万株の花菖蒲が見頃を迎えます。池一面に菖蒲が咲き誇る時期には、お茶席や露店が立ち並び、多くの観光客で賑わいます。

下関吉田地区の東行庵のある地は清水山と称し幕末の頃奇兵隊軍監、山縣狂介(有朋)は 麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。 慶応3年(1867)4月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を 奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。晋作に仕えていた愛人うの (後の谷梅処)は黒髪を断つて出家したので、山縣は明治2年 (1869)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。 現在の庵は明治17年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士 の寄付により建立されたもので、梅処は明治42年にその生涯 を閉じるまで東行の菩薩を弔った 昭和41年、東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため、 大修理を行った。

高杉晋作の墓碑の正面には「東行墓」とあり、「享年二十九」と刻まれています。東行は高杉晋作の号で「西へ行く人を慕いて東へ行く我心をば神や知るらん」と歌ったことに由来します。なお晋作が大庭伝七への手紙に、自分が死んだら墓の表に「故奇兵隊開闢総督高杉晋作西海一狂生東行墓遊撃将軍谷梅之助也」裏には「毛利家恩古臣高杉某嫡子也」と書くようにありましたが、この手紙の発見が遅れたため実現しなかったという逸話もあります。

下関長府にある功山寺は嘉暦2年(1327)に創建された。高杉晋作が元治元年(1864)12月15日に 、この寺に潜んでいた三条実美ら五卿の前で「今こそ長州男児の肝玉をご覧に入れます」といって決起したことは、あまりにも有名です。同寺の総門前には「高杉晋作回天義拳之地」の碑が建立され挙兵の像があり、また“五卿潜居の間”も残っています。功山寺の仏殿は、唐様建築の遺構がよく保たれており、鎌倉円覚寺舎利殿とともに国宝に指定されています。また、大内義長の最期の地でもあり、その後毛利秀元が修造し、毛利家の菩提寺となりました。また、功山寺の側にある毛利邸・長府庭園も一度立ち寄られることをお勧めします。

その他にも下関には明治維新の若き志士達の史跡が数多く残されています。ゆっくりと探訪してください。

東行庵花菖蒲 東行庵 高杉晋作の墓

5月のゴールデンウィークは下関が主役です

下関海峡まつりは5月の2日3日4日に開催されます。源平船合戦・上臈道中・そして下関ならではのスーパージャンボふく鍋など、イベント満載です。
下関の5月は源氏・平家の栄枯盛衰の時代絵巻をまじかで体感できる海と陸の一大スペクタクルが堪能いただけます。
平家最後の合戦で知られる壇ノ浦の合戦は関門海峡の渦巻く早鞆の潮流を味方にした、源氏の総大将義経の作戦勝ちで平家一門の滅亡に繋がりました。幼帝安徳天皇をお祭りする赤間神宮を始め、下関は多くの史跡を有し、歴史とロマン漂う町です。
安徳帝を偲んでの船合戦・上臈道中・先帝祭が赤間神宮・市内各所で盛大に開催されます。
また、イベント広場ではふくの町・下関ならではのジャンボふく鍋を始め多くのイベントが開催されます。

『是非、一度はおいでませ』

赤間神宮での上臈参拝風景
赤間神宮での上臈参拝風景1 赤間神宮天橋

関門海峡(壇ノ浦)源平船合戦
源平船合戦-1 源平船合戦-2